正面からの光景は雰囲気があって、格好良いです。
ここには館跡があるので、それが見たくて来ました。
館跡を探して周りをウロウロ。ぱっと見、堀跡らしきものが見つかりました。
【写真左・真ん中】八幡宮を後ろから見る方向で撮りました。思ったより深い堀跡があって驚きま
した。すぐわかりました。行けるものなら下に降りたかったのですが、腰の高
さ位の雑草でしたし虫が凄いのと、蛇とかいそうだったので諦めました。
【写真右】 八幡宮の右側から撮りました。こちらも歩いてみたかったのですが藪すぎて
不安だったので進むのは止めました。
看板に書かれてあった内容です。
『蓬田城は1238年の鎌倉時代に築城。安東氏関係の一雄潮潟四郎道貞の居城であったと伝わる。1185年平家の戦いで敗れた相馬氏は福岡からこの地につき安東氏の庇護により城主となる。
のちに南部所領となり奥瀬建助氏が居城。その後相馬則政氏が城主となり、約百年余り外ヶ浜一帯を支配。十三湊を通じ日本海からの貿易で朝鮮・中国と文化交流を含め貿易をする。
天正13年(1585年)津軽為信に城を明け渡し南部に逃れる。
後に城主である相馬小三郎・平次郎の兄弟が五稜郭戦争出征の時、宗像大社から分神した額を八幡宮に奉納。蓬田城は7~800年の歴史と伝統がある風光明媚な城下町。』
ひと塊の林全体が城郭だったようです。
今は国道から八幡宮全体が見えますが、何年か前までは木に囲まれていて見えなかった。その時の
木に囲まれている状態を見たかったな と。
それでも、深さのある堀跡が見れて良かった~
左側にある鳥居の先にも行きたかったのですが、藪に近い感じでした。普通のズックを履いて行ってしまったので進む勇気がなく、今回は撤収。突然思い立って出発してしまったので藪に入る準備ができてませんでした。ナハ!
次回、草が無い時期に出直しという事にします・・・無念
突然出掛けるので靴とか準備していなくて先に進めない事もよくあり、何度か同じ場所に行くことがよくあるのです。行く時は、靴や服装など準備をしてから行った方がいいですね。
行ってからじゃないと、どんな状況かわからないので。
ーーーーーーその後ーーーーーー
左側にある鳥居をくぐって行ったら、弁財天がおりました。
ここの主祭神は市杵島姫神イチキシマヒメノカミ、瑞津姫神タギツヒメノカミ、田心姫神タゴリヒメノカミでした。
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、相馬家は中央で活躍する機会を失い同族を頼って九州から奥州南部蓬田へと移った。
宗像三神は九州にいた時から崇拝した神でここへ来てからも弁財天を崇拝した。
と、看板に書かれてありました。
草が生えてくると行けなくなる予感。
行くなら今、って感じでした。